2015年度 中間研究集会
教育評価を拓く――豊かな子ども、教師、学校へ――


【基調講演】
「教育評価をめぐる論点と課題――ヒューマンサービスにおける評価の役割――」
鋒山 泰弘(教育目標・評価学会代表理事、追手門学院大学)


【報 告】

(1)「日本における教育評価の源流――生活綴方を引きつぐものとしての到達度評価――」
平岡 さつき(教育目標・評価学会理事、共愛学園前橋国際大学)


(2)「小先生方式で、学力を高め合う子どもたち」
濱野 秀樹(埼玉県所沢市立松井小学校)


(3)「特別支援教育における教育評価の現状と課題」
高浜 浩二(作新学院大学)


【司 会・コーディネーター】
小林 千枝子(教育目標・評価学会理事、作新学院大学)


----------
 2015年6月27日(土)13時~16時半に、栃木県の作新学院大学にて中間研究集会が開催された。テーマは「教育評価を拓く―豊かな子ども、教師、学校へ―」。コーディネーターと司会は同大学所属の学会理事・小林千枝子。学会代表理事の鋒山泰弘氏(追手門学院大学)の基調講演「教育評価をめぐる論点と課題―ヒューマンサービスにおける評価の役割―」に続いて次の三つの報告がなされた。平岡さつき氏(共愛学園前橋国際大学)の「日本における教育評価の源流―生活綴方を引きつぐものとしての到達度評価―」、濱野秀樹氏(埼玉県所沢市立松井小学校)の「小先生方式で、学力を高め合うこどもたち」、高浜浩二氏(作新学院大学)の「特別支援教育における教育評価の現状と課題」。基調講演、各報告ともに、発表に30分、質疑応答に10分設け、最後に全体討論を行った。報告者のうち濱野氏と高浜氏は学会外からのゲストスピーカー。参加者には30頁の資料集『教育目標・評価学会中間研究集会in作新学院大学』を配布した。
 濱野氏は全国到達度評価研究会所属のベテラン教師で、教育評価について実践的に深めてきている。高浜氏は教育学と心理学の中間に身をおいて特別支援教育の研究に携わってきたという。自分だけピントのずれたことを言うかもしれないと報告の最初に語ったが、ことは全く逆に進んだ。とりわけ平岡報告で示された生活綴方に即した教育評価と、高浜報告で語られた特別支援教育における生活面での自立に向けての評価との関連性が明瞭にみえてきた。
 この研究集会は公開で開催され、6月上旬に、朝日新聞、読売新聞、産経新聞の栃木版に、参加を促す記事が掲載された。また、小林は事前に、栃木県教育委員会の学校教育課や総合教育センター、県教委の7つの各事務所、大学近隣をはじめとする県内の小中高の学校、計9校に研究集会のチラシを送ったり持参したりした。また、教職についている作新学院大学卒業生にもチラシを送った。当日の参加者は、司会や報告者、アルバイトとして前日から運営を手伝ってくれた学生4名を含めて、計26名。その内訳は、学会員9名、学生11名(作新学院大学生10名*、白鷗大学生1名)、作新学院大学の卒業生教師3名、司会以外の作新学院大学教員2名(うち1名は高浜氏)、そして報告者の一人である濱野氏であった。
 新聞報道に加えて栃木県内に500枚は優に超えるチラシがばらまかれたが、その成果は卒業生教師3名にとどまった。教員の多忙化が問題視されてきている現代において、土曜日の午後を研究集会に費やすのは困難なのか。あるいは学会というものが教員にとって敷居の高いものなのか。それとも、教育評価という概念に、できればこれを避けたいという思いが作用するのか。栃木県における教育研究の一つの検討課題でもある。
*同じ日に特別支援関係の集中講義があったため、教職課程履修の2、3年生の相当数が研究集会に参加できなかったのは残念であった。
 講演者・報告者ともに、事前に学生も参加する旨を伝えておいたからか、学生にも伝わるようにと、配慮してお話しされたのはありがたかった。学生のなかには1年生もいたのだが、全員が最初から終わりまで真剣な表情で聴き入っていた。報告内容を十分に理解した訳ではなかったろう。報告者たちの熱心さに魅せられたのか。小林は、今回のテーマがもつ深さと、学生の研究活動への可能性をみた。
 さて、鋒山講演は、八木英二著『ヒューマンサービスの教育』(2000年)を手がかりにした、学力向上のためのPDCAサイクルなど成果主義の体制のなかで、教師が自責の念や無力感に陥りがちであるという問題提起からはじまった。そのうえで「子どもの学習困難の原因・背景を明らかにするための教育評価(解明としての評価)」や「子どもの学習困難をサポートする連携体制の構築につなげていく教育評価(つながりのための評価)」の大切さを提案した。ここでの連携には、教師だけでなく、特別支援コーディネーター、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー等々も含まれる。続いて「目標に準拠した評価」としての「観点別評価」、とくに指導要録における「関心・意欲・態度」の問題点を指摘した。すなわち、どこでつまずいているのかを示さないゆえ、わからない・できないまま学年進行させてしまうこと、教科指導において授業態度を問題にする態度主義の浸透などである。最後に、特別支援教育研究の成果から学び、教師である自分自身も含めて「できること・わかること」は、実は「大変なこと」であることを知ることで、大学生が教師の話をよく聴いていないと短絡的に批判するのではなくて、学生の「困り感」の原因を理解しようとする姿勢になったことに言及した。
 平岡氏は、はじめに教育実習を終えた学生が、できないことを子どものせいにしたり、教えないまま考えさせる学校現場に傷ついてくるという教職課程担当教員としての実感を語ったうえで、大きくは次の三点に絞って報告した。一つは、1930年代の生活綴方実践のなかで、日本ではじめて教育評価概念が生まれたことである。それを象徴するのが、子どもの綴方によって「地理や修身や国語やの全教科が、校長はじめ各訓導の全教化が、郷土や国家の全感化が、その批評を浮くべきである」という小砂丘忠義の言説である。二つ目は、生活綴方の性格をめぐって交わされた生活教育論争において、綴方教師たちが、子どもを知ることの大切さ(=診断的評価)、子どもも教師もともにもがくこと(=形成的評価)といった評価手順を語っていたことである。第三が教材論で、やはり生活教育論争のなかで、教育科学研究会の城戸幡太郎と留岡清男らの言説に、教科の目標内容のなかに生活性があるのがよいという一元論的教材論の論法がみられることである。また、この論争で、『生活学校』同人の高山一郎(増田貫一のペンネーム)も参加してきて、「普遍的な教材がもつ生活性を特殊化する工夫」の必要性が語られたという。
 鋒山講演で教育評価の現状打開が提案されたが、平岡報告はその打開の手がかりを歴史に求めたものとなった。
 濱野氏は、「あゆみ」(通信簿)検討委員会を立ち上げて、1年半にわたって検討を重ねたうえで、学力の到達状況がわかる到達度評価型通信簿にしたことを最初に報告した。小先生方式、つまり早々と到達した子が未到達の子に教えることを取り入れることで、学力が高まったという。子どもたちが小先生方式が自分にとってどういうものであったかを文章表現しており、子どもの音声を伴って報告された。この子どもたちの文章表現力とかかわることだが、濱野氏は教師になって間もないころ、作文教育に力を入れていた教育実践に感銘を受けて、意図的に作文教育に力を入れてきたという。『資料集』で、濱野氏は自らの報告を次のように結んでいる。「今回算数の学習でも、学びあい学習について、学習の最後に子どもたちにひとまとまりの文章としてまとめてもらいました。ここには、子どもたちにとって学び合いの学習が非常に有効に働いていることが示されています。子どもたちに書いてもらわないとわからないことも多くありました。改めて学習と書くことを結びつけることの大切さを実感しました」。
 髙浜氏は、平岡報告にあった、1930年代に本格的な教育論を展開していた教師たちがいることに、感銘を受けた旨を最初に語った。最近の教師たちは教育論議をしない傾向にあるのだという。
さて、髙浜氏は、応用行動分析学という心理学の視点から特別支援教育の研究に携わってきたという。これまでに出会ってきた様々な特別支援を要する子どもたちの現状を語りながらの報告であった。まず、障害は肢体不自由児や病弱児など行動制限を要するケースもあれば知的障害もあり、実に多様であること、ICTの活用によりカリキュラムが拡充されてきたことなど、特別支援教育の現状が語られた。教育評価について問題なのは、目標も多様であるため、評価の物差しも多様であり、複数のものさしが必要になることだという。さらに2010年に中教審初等中等教育分科会教育課程部会より目標準拠評価が導入され、児童生徒や保護者の評価参加が推奨されたことから、目標を客観化することが求められるようになったという。成果の共有化が図られ、わかりやすくなったようだが、形だけの評価となり、教師の側の「ワクワク感」がなくなってしまったし、出来合いの教材やマニュアル集めに陥る傾向も出てきているとも語った。特別支援教育においては学力よりも自立活動が大切で、長期的な視野が必要だし、何よりも教師自身が自ら教育実践を改善し、開発する精神がほしい、と結んだ。
 質疑応答および全体討論では、次の諸点が指摘あるいは議論された。
・鋒山講演にかかわって、教師が自責の念に陥らないための評価が大切だという指摘。
・観点別評価の一つに「関心・意欲・態度」があり、三つをひとくくりにしている。それぞれを33.3%ずつ評価すればいいのか。関心・意欲と態度とでは性格が異なる。さらにこれをA・B・Cの三段階で評価するのはナンセンス。学会として政策提言することはないのか。
・濱野報告に対して、わからない子が手をあげるようにするためにどんな手立てを講じたのかという質問に対して、濱野氏は、わからなくて当たり前という雰囲気を意図的につくっていると応じた。
・濱野氏の通信簿改善の経緯をより詳しく語って欲しいとの発言があった。濱野氏は、校内に「この“あゆみ”では・・・・」という世論づくりをしていき、さらに考えるところをB4判にまとめて校内に、現行の通信簿とは違う通信簿がありうることを伝えていくのだという。濱野氏は異動のたびにこれをやってきたともいう。教育は教職員が組織的に行っていくものであることを示す一件というよう。
・特別支援教育において大切なのは生活の自立(たとえば1人で買い物ができる、一人でバスに乗れる、など)。これと学力とのかかわりは、平岡報告で示されて一元論的教材論(教科としての目標内容の普遍性のなかに生活が含まれる)に通ずる。

文責:小林 千枝子(作新学院大学)