2017年度 中間研究集会
AI(人工知能)時代における公教育―求められる能力と学校の役割―
【報告者】
松村直樹(株式会社リアセック)
「AI時代に求められるキャリア支援教育
―「学ぶ」と「働く」をつなぐ視点から―」
松下佳代(京都大学高等教育研究開発推進センター)
「二つのディープラーニング ―〈新しい能力〉と知識―」
木村元(一橋大学大学院社会学研究科)
「AIインパクトと教育 ―「日本の学校」再考―」
【司 会・コーディネーター】
斎藤里美(東洋大学文学部)
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1.学会を代表して挨拶(代表理事:鋒山泰弘氏)
1990年、教育目標・評価学会は、学校教育だけでなく広く社会における人間形成を視野に入れて教育目標と評価を論じようということで出発した。ともすれば学校教育の内部の議論に留まりがちであるが、今日はこの問題に関心をもつ一般の方々にもご参加いただき、議論できることを大変うれしく思う。
2.後援者を代表して挨拶(東洋大学副学長兼高等教育推進センター長 松原聡氏)
東洋大学では2017年4月に高等教育推進センターが発足したが、本日のテーマである「AI時代に求められる公教育―求められる能力と学校の役割―」は、今の大学教育の課題とまさに重なっている。私の専門である経済学には「コンテスタブルマーケット理論」というものがあるが、これは表面的には競争がなくとも参入圧力があれば自由な競争とほぼ同様の状態になるという考え方である。教育においても同様の現象が起きている。たとえば、MOOCsや「スタディサプリ」のように学校外での教育が広く安価に提供され、いつでも誰でも質の高い教育を享受できるようになっている。その結果、学校教育との間に競争が生じ、学校の存在とそのあり方が揺さぶられている。これからの大学にはMOOCsを陵駕するような質の高い教育と学習が求められており、どのような能力を身につけるのかがますます重要になっている。本学の情報連携学部でも、大規模一斉授業ではできないような学習を展開するため、これまでにない教室・机・椅子をデザインした。今日は、AI時代の教育について専門領域を超えた議論が展開されることを期待している。
3.本研究集会の趣旨説明
(司会・コーディネータ:斎藤里美)
毎日のメディアで、人工知能、AIという言葉を見ない日はないほど、AIは私たちの暮らしに大きな影響を及ぼし始めている。このことは、雇用や労働だけでなく、そもそも人間とは何か、人間に求められる資質や能力とは何か、それを育てる学校の役割とは何か、という根源的な問いを教育学につきつけている。また、2045年にAIは人間の能力を超えると言われるが、公教育が、その時代を生きる子どもたちに何をどこまで保障するのか、公平性と卓越性をどのように兼ね備えていくのかも喫緊の課題である。本学会は、こうした課題に果敢にチャレンジしていきたい。なお、第一報告者の松村直樹氏は、キャリアアセスメントおよびキャリア教育事業を展開する(株)リアセックのCEOであると同時に、大学生の基礎力測定テスト「PROG」の開発者であり、『新キャリア開発支援論 AI時代におけるキャリア自律に向けて』の著者でもあることから、学会外からの報告と問題提起を依頼した。
4.報告「AI時代に求められるキャリア支援教育
―「学ぶ」と「働く」をつなぐ視点から―」
(報告者:松村直樹氏)
松村氏は、「産業界が求める人材要件と能力像」を測定するための2000年以降のいくつかの調査(厚生労働省、経済産業省、経済同友会、大阪商工会議所等)をレビューし、全407の調査項目を抽出した。さらに「新卒者に求められる能力」を「コンピテンシー」と「リテラシー」の二つに分類し、基礎力(ジェネリックスキル)として定義した。松村氏によれば、AIやIoTなどによる大きな構造変化の時代には将来予測が難しく、だれもが未知の事態への対応を迫られ、基礎力を中心とした「エンプロイヤビリティ」だけでは十分ではないという。不確実な社会であればあるほど、もう一つの「キャリア・アダプタビリティ」が重要となってくると指摘する。松村氏のいう「キャリア・アダプタビリティ」とは、「予測不可能な環境変化に柔軟に対応する適応力」を核としたものであるが、さらにこれを分類すれば「キャリアに対する主体性」「好奇心・変化志向」「自己信頼」「キャリアに対する展望観」などからなる「キャリアレディネス」と「自己概念の明確化」「何のために働くかの自覚」からなる「キャリアに関する信念」の二つで構成されているという。
実際、大学生対象のアンケート調査からは、「コンピテンシー」の伸びと授業経験や活動時間との関連は弱い一方、主体的な関与や大学生活への適応との関連が強くみられる。主体的な関与や適応は「キャリアレディネス」と関係が深いと考えられることから、今後のキャリア教育の目標には「コンピテンシー」を中心とした「エンプロイヤビリティ」と「キャリア・アダプタビリティ」の両方を視野に入れることが重要である。
5.報告「二つのディープラーニング
―〈新しい能力〉と知識―」(報告者:松下佳代氏)
松下氏は、AI研究と心理学・教育学研究でそれぞれに語られている「ディープラーニング」という言葉を手がかりに、AI時代における学校教育の課題を解き明かそうと試みた。
松下氏によれば、AI研究における「ディープラーニング(深層学習)」は、「特徴表現の学習」であるが、心理学・教育学における「ディープラーニング(深い学び)」は、70年代半ばから提唱されている「学習への深いアプローチ」に端を発したもので、「深い学習(学習への深いアプローチ)」「深い理解」「深い関与」の三つの系譜からなるという。
たとえば「学習への深いアプローチ」とは「意味を追求すること」であり、「概念を既有の知識や経験に関連づける」「議論を批判的に吟味する」などの行為を伴うのに対し、一方「浅いアプローチ」とは単に「再生産すること」であり、「授業を互いに無関係な知識の断片としてとらえる」「事実を暗記し、決まった手続きを繰り返す」などの行為を伴う。浅いアプローチではAIの方が人間よりはるかにすぐれており、AIが意味を理解しえないことを考えれば、深いアプローチがより重要性を増してくるという。
さらに松下氏は、新井紀子らの「東ロボ」プロジェクトの研究成果を引きながら、AI時代に必要な教育を「①意味を深く理解し、②自らのリアルな実体験に基づいて、③論理的・想像的に推論できる力を伸ばす」ことと整理し、それは「深い学習」と類似性をもつと指摘する。こうして、AIが「ディープラーニング(深層学習)」時代を迎えた今こそ、人間を育てる学校教育には「深い学習」が必要だと結論づけた。
6.報告「AIインパクトと教育―「日本の学校」再考―」
(報告者:木村元氏)
木村氏は、まず人間形成の人類史的展開を振り返った。木村氏によれば、人類史の中では、教育が日常生活そのものの中に埋め込まれている「徒弟方式」が主流であった。特別な空間と時間を用意し、そこに子どものつまずきを克服するための工夫(ペダゴジ―)を施した「学校方式」の教育はじつは最近のわずかな期間のことでしかない。
この「学校方式」の後にくるのが「AI先生」であると位置づける。「AI先生」は人間形成の目的や目標を「測定可能なもの」に設定し、「カスタマイズされたカリキュラムとペダゴジー」をもつオーダーメイドによる個別対応の方式である。「AI先生」は教育の価値を問わない。つまり、どんなデータを入力データとして選ぶのか、どんな授業がいい授業なのか、その「よさ」の根拠は熟慮を経たものではなく、多くの人が「よい」と考えたもの、いわば「多数決」によって導き出された「特徴量」に過ぎない、と木村氏は述べる。
一方、日本の学校の特質を見てみると、そこには親密圏としての学校空間がある。日本の学校は、教師と子どもの共同的関係によって成り立っている。いわば、疑似的な生活の場であり、「教育」を成立させる土台として機能している。学校は、じつはこうした制度化・対象化されていない周縁の諸領域を抱えているが、これらはAIの射程に入ってきているのだろうか。実践の「よさ」の根拠は「教育的価値」であり、AIの参入は、教育学研究の中で教育目標づくりを中核におしあげていくであろう。その際に、学校が成立している全体をみるという視点が欠かせない。
7.議論
まず、会場の参加者から「新しい時代に何を学ぶことが重要か」という質問があった。これに対して松村氏は「正課外の活動をマネジメントしていくこと」、松下氏は「生の体験にじっくり取り組ませること、与えられたものを批判的に吟味すること(教科書の説明文を批判的に読むなど)」、また「カリキュラムの枠組みじたいが変わる可能性は?」という質問に対しては、松下氏から「基本的な概念を学び、異なる領域やコミュニティでの活動でも使いこなすなかで、それを血肉化させていくことが重要」などの発言があった。
さらに「公教育の役割は、AIとの共生によって差別のない、人間や自然を尊重する態度を育て、公平公正な世界を作りだすことではないか」という質問も寄せられた。これに対して、木村氏は「AIがめざすものは測定可能なものに限られてしまう。AIが経験ある教師のかんどころを教師以上につかむ可能性もあるが、一方で、科学的な価値と人間が生きる社会の価値との間にはどうしても隔たりがある。たとえば環境汚染においてある科学的数値が安心かどうかについては、人間の熟議や英知、科学に携わる人々の営為の介在が不可欠である」、松下氏は「もしかしたら、周辺的な人々が正統的でない方法でAIを使うことで新たな文化を創造する可能性もあり、逆転の可能性もあるのでは」、松村氏が「人間がある種の価値判断をしなければいけない。自律型のコンピュータができる可能性もあり、感情をもつAIが生まれたときに人間とどんなふうに共生できるのかは未知数」と問題を提起した。
本研究集会を通して、AIが教育にもたらすインパクトと論点が明確になれば幸いである。今後の教育目標・評価研究に活かしていきたい。
文責:斎藤里美(東洋大学)