![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
ndex > 年次大会 > 第10回大会 |
|||||
![]() 第10回大会記念企画: 私の教育学研究と教育目標・評価学会 公開シンポジウム: 総合学習はどんな子どもを育てるか −和光鶴川小学校と 奈良女子大学附属小学校に聞く− |
![]() ![]() ![]() |
||||
園 田 洋 一 (和光鶴川小学校) 廣 岡 正 昭 (奈良女子大学文学部附属小学校) コーディネーター: 田 中 耕 治 (京都大学) |
|||||
コーディネーターから,シンポジストの紹介とシンポジウムの趣旨が簡単に説明された後で,両シンポジストから以下のような報告があり,それを受けて討議が行われた。 なお,まとめにあたっては,「両校の実践を詳細に報告してもらい,それぞれの現場・研究者がとりくみ方を考えていくヒントにする」という企画趣旨にのっとり,両氏の報告については,やむを得ない省略を除いて,できる限り要約はせず,報告そのものを忠実に起こすことにした。
はじめに この間,先進校の一員として各地の校内研修会などで講師をした経験からいうと,総合学習についての現場のとらえ方がバラバラであり,「先進事例」に振り回される傾向がある。総合学習は基本的に,各学校の教師たちが,これからの学校をどうするのか,子どもが望む学習はどういうものなのかということを出発点にして考えていくべきものであり,先進校の実践をそのままやるべきものではない。 こうした観点から,報告では,「なぜ総合学習を始めたか」「総合学習をどのようにとらえているか」ということをていねいに紹介した上で,実践の内容を示したい。 1.今,子どもたちの求めている学習とは 総合学習に限らず,和光小学校が教育課程づくりにおいて大事にしていることは,子どもたちがどんな学習を求めているかということだという。 6年生社会科の日本史学習を例にとれば,和光では,古代から通史的にやるのではなく,現代,すなわち自分たちの生きている時代から始めて,そこにつながる過去をひもといていくという形で進めている。 さらにその際,子どもたちに「私たちの時代の3つの大きな出来事」を挙げさせたところ,一昨年は1位「地下鉄サリン事件」,2位「阪神大震災」,3位「消費税アップ」など悲惨な事件や暗いニュースが挙がった。 ここからみる限り,子どもたちの未来への展望は明るいとはいえない。 それを踏まえると,子どもたちの求める学習は,以下の3つの特徴を持ったものだと考えられる。 第1に,未来への展望が広がる学習であること。 第2に,いま学んでいることが,自分自身の現在とこれからの生活にどれだけ結びついていくかということが,つまり「何のために学んでいるか」「学ぶ意味」が小学生なりにつかめる,実感のある学習。 第3に,教師が一方的に教え込む伝達型の学習ではなく,教師と子どもが一緒に授業を作っていく参加型の学習,子どもたち同士が学びあい,育ちあう共同の学習,地域,家族,様々な民族とともに生きる共生の学習である。 2.総合学習はどのように生まれてきたのか これら3つの学習を実現するものとしての総合学習にとりくみ始めた契機は,1970年代に学校が「荒れた」時期に,子どもの現状分析をしながら教育課程の見直しを始めたことである。 まず,低学年は知的に未分化な発達段階であり,同時に,自分たちの身近な題材から学習をスタートさせるのが無理がないとの判断から低学年「総合」を発足させ,そこでダイナミックな学習が展開されてきたことがある。 いっぽう,高学年では,かつて広島を題材に,2泊3日の学習旅行で見学,被爆者と1対1の聞き取りや交流,平和ゼミナールの高校生との交流などの平和学習を行っていたのだが,その準備過程で,教科をこえて,国語で戦争文学,音楽で平和の歌,社会科では15年戦争学習などの学習活動が展開され,それを「総合学習『広島』」と呼んできた歴史がある。 それらをふまえ,85年から低学年は「生活勉強」,中・高学年は「総合学習」という,教科,教科外に続く第3の教育課程領域として設定した。 教科では人類の文化遺産を系統的に学習し,教科外では自治的活動・行事の中で集団生活・活動を行い,学ぶことの意味や知恵を身につけ,総合学習では,教科で学べないが子どもたちにとって切実な現代的課題をテーマに学習するようになっていった。 3.総合学習とは何をめざすのか 次に,和光の総合学習の目標について触れる。基本は,子どもたちが解きあかしたい現代的課題に迫ることである。 4年生の「川」を例にとれば,川の生き物は理科,その社会的意味は社会科で学べるけれども,川と地域の人々の生活,川を守る人たちの営みなど,川をめぐる「生活」「環境」「自然」のかかわりは,小学校段階の教科教育ではなかなか学べない。 鶴川小で取りあげている「鶴見川」は河口では日本でワースト3の汚染度だが,じつは学校近くにある源流は清浄であり,稀少生物・絶滅危惧種が生息しているのに,わずか数百メートル下ると生活廃水が流れ込み,汚染が始まるという,興味深いフィールドである。 その他,5年生,「食を通して現代社会を考える」,6年生「沖縄」(被爆者の高齢化,原爆遺跡の老朽化によるたてかえ・取り壊しで「広島」学習は困難に)など,教科ではなかなか学べないけれども子どもたちにとって学びがいのあるテーマを取りあげている。 4.総合学習における子どもたちの学び 総合学習での子どもたちの学ぶ姿を次に紹介する。 たとえば,3年生「蚕を育てる」は和光では歴史が古く,理科で扱ったことや,「工作・技術」(和光では一般の「図工」を「美術」「工作・技術」としている)で扱ったこともある。 では,なぜ現在総合学習で扱っているかというと,3年生は低学年的なところが残っており,「やってみる」「作ってみる」といった体験的な学びが中心になり,また生き物が好きなので,育てたり,観察したりというスタイルがあう。 くわえて,町田(鶴川小の所在地)という地域は昔から養蚕業がさかんで,地元の鉄道も生糸の輸送路として発足した歴史があり,餌となる桑畑もまだまだ残っている。 とはいえ,近年,国内産の生糸はほとんど売れなくなっているので,養蚕業自体は困難に直面しており,農家は近年減少している。 そこで,育てることを出発点にしながら,糸をとったり,その使い道を調べたり作品づくりをしたりすることとともに,近隣の養蚕農家の話を聞く中で,養蚕業の現在も3年生なりにとらえられるなど,ひとつの教科には納まりきらない学習の発展がみこめる。 鶴川小の開校前,和光小(世田谷区)でのこれまでの実践では,近隣に桑畑がないため,せいぜい年1,000頭,子ども1人あたりでは5〜6頭を育てていた。 すると,名前をつけたり愛着が出てきて,繭を熱処理して糸を採る際に抵抗があるなど,蚕と人とのかかわり(ペットではなくあくまで家畜として飼う)を学ぶという点では,これでよいのかどうかという迷いが毎年あった。 その後,鶴川小が開校したとき,おもしろいエピソードがある。 鶴川小でも和光小のノウハウを生かし,蚕を育てようとしたのだが,手違いで1,500頭注文したはずが15,000頭届けられ,しかも孵化していたので,あわてて子どもに観察させてしまった。 そこで,いまさら処分するわけにもいかず,全部育てることを決断した。 そうなると,餌やりひとつでも,教師が毎朝トラック1台分の桑の葉をもらってきて,それを1日の何回も,蚕が食いつくすたびに授業中であろうが何であろうが子どもたちが補充しにいくことになる。 それだけいると,いちいち名前もつけていられなくなり,また病気予防,衛生管理なども本格的にやらざるを得なくなった。 繭を生糸にするのは手作業ではできないので,養蚕試験場に繭を出荷して糸にしてもらうのだが,その時に糸の品質に等級がつく。 糸が帰ってきたとき,子どもたちはまず繊維の輝きに目を見張はり,「A3」という等級に大喜びした(最高の「A1」はベテランの農家でもなかなか取れない)。 「養蚕農家の苦心を身をもって体験することで,単に蚕の生育過程や糸の流通を知識として知るのでなく,体験を通して理解する」という目標が,例年にもまして獲得できたと思われる。 5.学習テーマと教師の指導性 和光小学校の場合,各学年の「領域(ベーシック・プラン)」,たとえば4年生なら「人と自然と環境」,5年生「食を通して現代社会を考える」といったことは毎年固定している。 いっぽう,その中での具体的な「題材(テーマ)」はその年ごと,クラスごとに考えることになる。ただし,クラスごとに考えるといっても,たんに子どもに「自由に」やらせるのではない。 たとえば5年生のあるクラスで子どもたちに具体的な食材を選ばせた時には,「食をめぐる文化・技術が学べるもの」「食を通して『食糧問題』を考えられるもの」「同じく『食品問題』を考えられるもの」「食べることの意味,食と健康について考えられるもの」「自分たちで作ったり食べたりできるもの」という5つの条件を提示した。 その上で子どもたちに考えさせたところ,最終的にクラスが「大豆」と「そば」とにまっぷたつに分かれた。 こうした場合,「両方やればよい」という意見もあるかもしれないが,和光の場合,「担任が指導しきれる範囲で」ということを前提としているので,どうしても1つに絞るひつようがある。 困った担任は,何人かの先生に審査員になってもらって,「テーマをきめる会」を開催することにした。 そこでは,「大豆」「そば」両派の子どもたちが,「なぜその食材なのか」をアピールし,実際にそれで料理を1品--「大豆」グループは冷奴,「そば」グループは手打ちそば--つくった。 審査の結果は,僅差で「大豆」に決定した。 なお,「題材(テーマ)」については各教師が責任をもつが,もちろん完全に担任まかせというわけではなく,年度当初に,総合学習にふさわしいものになるよう集団的に検討をする。 検討の視点としては,その題材で最終的に子どもに何を見せたいのか,考えさせたいのか(「主題」)が重視される。 そういうと,公開研究会などでは「『子どもから出発』などといっておいて,結局は教師主導ではないか」との批判も受けるが,われわれは総合学習を単なる自由研究・自由学習とは考えておらず,教科では学べない今日的なテーマを題材とすることを堅持しているので,教師の指導性はやはり重視している。 おわりに 最後に,子どもたちにとっての総合学習の意味を述べておきたい。 こどもたちは,もちろん教科でも行事でも燃えるが,総合学習も好きである。なぜ子どもは総合学習が好きなのかというと,そこでは,教科書や本に頼るのでなく,本物の人やものとの出合いを通したリアリティのある学習ができることや,学習は自分1人では成り立たず,地域の人たちとのつながりの中で学んでいることが実感できることがある。 そこでは新しい発見,ワクワク・ドキドキすること--自分を見つけたり,友だちのよさを見つけたり--があり,それが魅力になっているのだと思う。
1.「しごと」の源流 奈良女子大学文学部附属小学校は大変古い学校で,自分は着任後14年目になる。 本校では,大正時代から,木下竹次の指導により,従来「教授」「養護」「訓練」と分節化されていた教育の営みを子どもの立場から一元的に「学習」ととらえかえし,「合科学習」が展開された。 そこでは,「学習」の及ぶ範囲はきわめて幅広いものであり,「子どもの生活の発展を図ること」が学習とされていた。 低学年では教科の枠をほとんどはずした「大合科学習」が行われ,以後,「中合科学習」,「小合科学習」へと分化が進んでいく(なお,「合科」とは,分化した教科を前提としてそれらを「合わせる」という意味ではなく,あくまでも「子どもの全生活」を大正とするものである)。 2.奈良の教育課程--「しごと」「けいこ」「なかよし」-- 戦後になり,奈良では,戦前の「学習法」の遺産をどう継承するか考え,重松鷹泰らにより,子どもの学習生活を「けいこ」「しごと」「なかよし」の3つ(相互に軽重はなく,いずれもが等しく大切にされる)に分節化した。 誤解のおそれはあるが,あえて通常の教育課程の用語に直せば,「けいこ」は特定の目標に応じた分科的な学習形態をとる教科的学習,「なかよし」はさまざまな集団による実践的な学習形態を中心として集団的・自治的能力の育成(特別活動・道徳)を行うものである。 そして,総合的な単元学習の形態をとるとる「しごと」が「総合的な学習」であり,これは「生活科」の一つの源流でもある。 3.「しごと」の実際 「しごと」の週あたり時数は各学年とも5時間であり,ウェイトは高い。 教科書はもちろんない。 和光と違うのは,学年ごとの大まかなテーマというものがなく,学級の子どもと教師とにすべて委ねられていることである。 ある意味では不親切であり,毎年悩むところではあるけれども,いっぽうで教師たちには「前年と同じことをやるのはつまらない」との思いがあり,学級ごと,年度ごとにさまざまな実践が展開されてきている。 たまたま食糧問題について5年生でとりくんだことがあるので,園田報告と対比しながら述べてみたい。 教師の側から主題や,主題のもつべき条件を提示したりということはほとんどなかった。 自分の実践では,米の食べ比べをやった。 10s7,000円くらいする魚沼産の「コシヒカリ」と,約半値の滋賀産の「にほんばれ」と,それぞれ新米を食べさせ,「どちらが高価な銘柄米か」を子どもに当てさせると,ほとんどの子が正解した。 次に,標準価格米の古米と新米の食べ比べをやり,これもほとんどの子が正解だった。 その他さまざまに活動をしたが,結果としては,園田氏の報告で提示されたような観点はほぼ出てきたと思う。 では,なぜ「食料問題」になったか。 本校はずっと持ち上がりなのだが,5年生になった時,子どもと「しごと」のテーマを相談した際,自分としては,「ナホトカ」の原油流出事故があった時期なので,石油の研究をしようと考えていた。 それによって,日本と世界のかかわり,エネルギー問題などが学習できると考え,それとなく学級通信や新聞記事の切り抜きを子どもに提示したのだが,子どもは食糧でやりたいといった。 なぜかというと,その学級は1年生から「食べ物」にまつわるテーマを取りあげていたので,引き続き追究したいという思いがあったのだろう。 そこで,結局5年生でも「食糧」になった。 「食糧」と「石油」では,学習過程や結果として子どもが獲得する知識はまったく違うわけだが,「しごと」学習は個別的な知識の内容そのものを問題にするのではない。 いずれの場合も,日本と世界とのかかわり(食糧自給率の低さ?エネルギー資源の外国への依存,それぞれの問題と環境のかかわりなど)は出てくるので,大きくは共通の構造がある。 さらに,探究の結果として子どもに育つ能力・資質,他の子と分担して協力しながら探究していくプロセスはいずれのテーマでも共通する。 そこが「しごと」では重視される。 これはつい昨日のことだが,「しごと」の授業(2年生,街探検)を見学者に見せた。 その時間の課題は,運動会前に2回ほどやった「秋の街探検」の結果を子どもに発表させ,次にやりたいことを考えさせることだった。 教師側の腹づもりとしては,「秋のおいしい食べ物しらべ」にもっていきたかったが,それはその時点では子どもには示していない。 ただ,親には先に言ってしまっていたので,ちょうどその日ある子の親が自宅で栽培した椎茸を持ってきたので,それを導入に示したら,結局1時間じゅう茸の話でもちきりになった。 出てきた問題は,第1に,食べられる茸と毒茸との見分け方,第2に,しめじ,椎茸などは年中売っているが松茸は秋だけなのはなぜか,ということ。 こうした茸にまつわることを秋の学習のテーマとして大事にすることを確認してその時間を締めくくった。 たとえばこうしたエピソードに象徴されるように,「しごと」学習には,予定のないところに予定を立てていかなければならないという困難さがある。 できるだけ子どもにゆだねながら学習として価値ある方向にいかに持っていくかが「仕事」学習であり,教師の腕の見せ所もそこにある。 4.「しごと」による子どもの育ち,「けいこ」との関係 次に,実践の結果としてどういう子どもが育つかを述べる。 戦前の例では,6年間船の絵ばかり描いていたというつわものもいたと聞く。 現在の例として,ある女子の作文を紹介したい。 「授業では『しごと』学習でいろいろなことを調べたりまとめたりしました。 皆が皆こういうことを書いてくれるとは限らないが,「しごと」学習を通じてこういう子が育ってきている。 取りあげる課題について,事の是非は一概にはいえないが,学習を通じて子どもが問題に気づき,自分の生き方まで考えていくことが実現できれば,「しごと」学習の意味はあるのではないか。 高学年になるほど現代的課題を扱うことが多い。 「では教科学習はどうしているのか」と問われるだろう。 「けいこ」で一心不乱に教え込みをやっているととられては困る。 教科は教科のねらいがあるので,「しごと」のようにすべてを子どもに委ねることにはならないが,できるだけ子どもの立場に立った自然な学習を工夫している。 たとえば,同僚の実践だが,6年生算数「線対称」「点対称」について,「街角の算数」と称して,きれいな模様,面白いマーク,春日大社の八角道路のデザインなどを調べていき,その中から算数のねらいを自然な形で達成し,それ以上に幾何を探究することの面白さそのものを教えている。 もちろん,漢字など「修行」と称して反復練習をする場面がないわけではないが。 5.「しごと」のテーマ・目標設定と評価 「しごと」の話に戻す。 内容選定の基準が明示的にあるわけではないが,経験の中でそれなりの知見は蓄積されてくる。 子どもの経験と結びついた,具体性をもつ現実の問題をとりあげるので,社会科に似ている面もあるが,いま子どもが何に関心をもっており,何を取り上げればその学年なりの学習ができるかを子どもとともに考えていく。 たとえば奈良でも「川」(大和川?汚染度ワースト1,2を争う),里山など,和光でもとりくんでいるようなテーマも出てくる。 和光と背景は違うが,めざすものは共通していると思う。 「しごと」についてはテストはしないので,評価はどうなのか疑問があろう。 奈良の場合,学習作文をうんと書かせている。 このような発表資料も作らせる(2年生「奈良公園のシカ大研究」での子どもの発表資料を示しながら)。 高学年では論文(レポート)を書かせる。 その中で,子どものものの見方・考え方などをできるだけ積極的にみいだすようにしている。 各学年・学級の「しごと」のテーマは,隣の学級とも,去年のその学年とも違う。 低学年なら年間4テーマ,高学年では年間通しの1テーマになったりするが,具体的に決めるまでにはそれぞれ苦慮している。 和光のように各学年大テーマは固定するのが現実的なのかもしれないが,うちでは「そんな窮屈なのはかなわん」という話になるだろう。 「商業捕鯨禁止」をきっかけに,5・6年生2年間にわたって「鯨」をテーマにして,歌を作ったり,和歌山県太子町の地域研究をしたりということもあった。 このようにテーマがまちまちだと,結局なにが子どもの身につくのかが曖昧になるという危惧はあるかもしれないが,そのために奈良では,各種能力の指導系統表を作っている。 たとえば2年生なら「学校・家庭・街の中で働いている人の仕事の様子や季節によってみられる違いなどに注目して気づきを表現することができる」などのように。 教師は「ねがい」はもつが,テーマに困ったり行き詰まったら子どもに相談する。 子どもは「しごと」の学習は自分の仕事だと思っているのでそれほど教師には頼らない。 保護者も熱心に支援してくれる。 電気をテーマにした時なども,電力会社の研究員が保護者に2人いて,山ほど資料を子どもに提供してくれた。 公立学校へ講師に行った時,「『総合』では何をどこまで子どもにわからせたらいいんですか」と問われて返答に困った。 「先生と子どもがわかるところまでしか行きようがない」としか答えられない。 もちろん,どういう学習が価値があるかについては,教師の見識が必要である。 何によって判断するかは難しいが,現実社会の問題との関連もひとつの基準だし,「このことは子どもに考えさせたい」という教師のねがいも基準になる。 文部省が「環境」を示しているからといって,教師自身が環境問題について切実に考えていなければ学習は成立しない。 その上で子どもの動きをみながら,価値ある学習の方向をみいだす。どこまでできるかは事前にはわからない。 「カリキュラムは3月31日にできる」ということになる。 そういうといかにも行きあたりばったりな印象を与えるかもしれないが,能力系統表もあるし,子どもが学習主体として育つために,低学年,中学年,高学年それぞれにやはり眼目がある。 たとえば,低学年では心の眼のアンテナを鋭く,豊かにすること。子どもが何か教室に持ち込んできたら,時間割にはこだわらずその場でそれを追究する。 中学年では,物事の関係に気づかせるという視点でフィールドワークをうんとさせて,同時に見てきたこと・やってきたことをきちんと表現させる。 高学年では,現実的課題を正面からとらえ,価値判断を伴う学習をしくんでいく。 先日も,バイオ,遺伝子組み替え食品などを「しごと」で取りあげ,同志社中へ進学した卒業生が,中学校でのテーマ学習のため,また資料を借りに来た。 学びの生活が継続している。 「勉強をしないで外にばかり行って」という親の心配もあったが,教師も子どもも楽しんでとりくめている。 【討論】 両氏の報告後約1時間にわたり,活発な質疑・討論が行われた。 その中で繰り返しあらわれてきた最大の論点は,やはり「現在の3(2)領域と別に『総合』の時間枠は必要なのか?」ということであった。 この問いは,たとえば「生活科」新設によってそれまでの低学年理科・社会科で蓄積されてきた授業や教育課程が,道徳・しつけ的な要素などの混入によって変質させられてきたことへの反省として出されたり,各教科の学習指導要領が,たとえば英国のナショナル・カリキュラムなどのように弾力的で,子どもによる探究活動を積極的に位置付けるようなものになったとしてもなお「総合」が必要なのか,といった問いとして出されたりした。 それに対しては,「別枠の時間が必要かという疑問はあり得るが,目標レベルの問題として,教科のように共通の内容の獲得をめざすというより,『平和』『戦争』など個々の子どもの自分なりの価値判断を尊重するという性格が『総合』にはあり,やはり教科に還元することはできない」「和光では『総合学習』を置く前から教科も含めて自主編成を進めてきているので,教科が改善されたからといって『総合』が不要ということにはならない」といった回答が園田氏からあった。 また廣岡氏は,「現代的課題を丸ごと,自分の生活,自分なりのこだわりとかかわらせてつかむという学習は,やはり教科ではできにくいので,『総合』は必要であり,積極的に受け止めるべきではないか」「ただし従来の理科,社会科で時間がなくてできなかった活動を展開するのに『時間』を使ってもいいわけで,無理に新しい単元をと考えて9番目・ 10番目の教科にしてしまってはまずい」「教科,総合で教師の指導姿勢が一貫している--できるだけ学習課題を子どもに預けるなど--必要があり『総合』を設けたから活性化するというものではない」と述べた。 両校の実践の相違,とくに学習テーマの決め方など,さらに深められるべき課題はいくつか残されたけれども,園田・廣岡両氏とも,「子どもにとって切実な学習課題」ということを繰り返し強調しておられたことは,文部省の「横断的・総合的課題」の強調や,「学力低下」論におされての最近の揺り戻し(「総合の前にまず教科を」「『時間』で学力補充をやったらいい」等々)が徹頭徹尾子ども不在であることときわだった対照をなしており,重要な点である。 |
|||||
文責:山 崎 雄 介 (学会事務局) |