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ndex > 年次大会 > 第11回大会 |
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![]() 課題研究B: 自己評価のあり方を探る 課題研究C: 「学力の国際比較」とはどういうことか? IEA調査報告の検討その1 |
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![]() I はじめに IEA(国際教育到達度評価学会)の調査結果は,日本の子どもの学力の特徴について論じる際,必ずといっていいほど引用されるものであり,また,最近では中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」(1999.12.16)で引用されるなど,教育政策に対しても大きな影響を与えている。 IEAによる国際教育調査は,数学・理科の2教科を対象に過去3回行われている。第1回(数学:1964,理科:1970-71),第2回(数学:1980-81,理科:1983),そして第3回は数学と理科をあわせて 1994-95年に実施された。この「第3回国際数学・理科教育調査」は,国際的にはTIMSS(Third International Mathematics and Science Studyの略称)と呼ばれており,この夏筆者が参加した第9回世界数学教育会議でも,分科会が設けられるなど,大きな話題となっていた。 本研究は,本学会の教育課程部会の有志4人の共同研究であり,過去3回のIEAの調査結果のうち,とくに中学生の数学の調査結果に対象をしぼって検討を加えたものである。 以下では,まず,報告の概要を紹介し,次に,フロアとの質疑応答・議論の論点を整理する。論点のいくつかについては筆者の方で補足を行わせていただきたい。 II 報告の概要 報告は,以下のような5部構成で行われた。 1.はじめに(木村会員) まず,木村会員から,本研究の目的・対象・方法が示された。 本研究の目的は,「IEAの調査結果が,調査方法としていかなる具体的手続きのもとで導かれたのか,また,そこで示されている『学力』がどのような学力観に基づいたものであったか」について,検討を行うことにあった。 過去3回のIEAの調査結果は,いずれも国立教育研究所の報告書を通じて紹介されている。このようにIEAの名の下で国研を介して流布している学力評価について,その妥当性を検証することが,本研究の問題意識とされた。 そして,国内報告書その他の国研の分析が,「関心・意欲・態度」への対応という国内の政策課題を背景として,独自の学力観によってなされているのではないか,という仮説が提示された。 一方で,今回の報告は,IEAの出した報告書ではなく,国内報告書や国研の著作を検討の素材とするという「限定」をもつものであり,IEA自身の報告書の検討については,今後継続すべき課題とされた。 2.IEA国際数学教育調査の構成と内容(平岡会員) ここから,IEAの調査方法および調査結果の中身の検討に入る。 まず,平岡会員から,第3回調査の種類・対象・時間・枠組み,および「態度質問紙」の質問項目・調査結果が,第2回調査と比較する形で紹介された。 ここで強調されたのは,態度質問項目はすでに第2回にも多く含まれ,第3回と同様の結果が得られていたということである(この点は,続く二つの報告で敷衍された)。 3.IEA調査の目的と国内報告書(北林会員) 続いて行われた北林報告は,国内報告書の「問題点」をかなり大胆に論じたものであった。まず,過去3回の報告書について調査目的と結果との対応が検討され,第2回以降,数学の成績(output)に影響を与える諸要因 (input)の解明という調査目的に対応した記述が見られなくなっていることが指摘された。 その上で,@第3回で履修率の位置づけが大転換している,A 学力構造には国研の分析(長崎・瀬沼, 2000)で言われているような変化は見られない,ということが,新しく得られた知見として提示された。 さらに,それを受けて,?わが国における従来の議論が「調査目的とその結論をふまえずにデータだけを部分的に取りだして問題にする」「国内報告書がIEA調査の報告書になり得ていないにもかかわらずそれに基づいて議論している」という二重の危うさを抱えていることが指摘された。 4.第3回IEA調査報告の学力観の構造(斎藤会員) 斎藤報告では,上の「問題点」の@Aが,さらに詳しく検討された。まず,Aについて。過去3回のIEA調査の分析を行った長崎・瀬沼(2000)は,学力構造について第1回は未分化(次元は明示されず,思考過程[低次/高次],文章題/計算題,内容,という分類法が使われている),第2回は「2次元」[目標×内容],第3回は「3次元」[内容×行動的期待×将来への展望]とし,「関心・意欲・態度にかかわる次元[=将来への展望]は,今回初めて明示的に取り入れられた」(p. 52)と述べている,しかし,IEA調査にそのような学力観の転回があったかは疑問である,とされた。 また,質問紙法によって(つまり,自己認知によって)「関心・意欲・態度」をはかるということが,学力の国際比較にふさわしいか,態度質問紙にはculture-dependentな項目(例えば,「数学は,生活の中でだれにも(anyone)大切だ」の「だれにも」の意味あいは文化によって異なる)が含まれているのではないか,といった疑問も提示された。 一方,@については,第3回調査で,「正答率とカリキュラムの履修率との相関はない」という,第2回までとはまったく正反対の結論が得られたにもかかわらず,その意味が分析されていない,ということが問題とされた。 全体を通して,第3回調査では,カリキュラムや指導法の評価という意味あいが薄れ,生徒の得点分布(とくに得点上位集団)の方に関心がおかれているのではないか,それはカリキュラムの公共性という点で問題であるという懸念が示された。 5.小括と課題(木村会員) 最後に,あらためてIEA調査の目的と国内での調査結果の解釈との不整合が指摘され,国内の解釈の背後にある政策的意図をみることの必要性??教育評価のポリティックスという視点??が述べられた。 III 議論の論点 議論では,資料として出された過去3回の調査結果の解釈や,国内報告書その他の分析に対する批判の妥当性をめぐって,いくつかの論点が提出された。以下では,報告の柱でもあった2点に即して議論を整理する。 1.履修率の影響をめぐって 資料の解釈でもっとも議論となったのは,北林報告の中で示された「TIMSS算数問題と各国のカリキュラムの一致度(小学校4年)」という表(国立教育研究所, 1998, p. 39)の解釈であった。表の数値を見ると,「履修」している問題も「履修」していない問題も正答率がほとんど変わらない。 報告者は,この資料を,「正答率とカリキュラムの履修率との相関はない」ということを示すものと解釈し,そのことを重要視していないことを,国内報告書や長崎・瀬沼(2000)に対する批判の論拠の一つとした。 フロアからは,この表が履修率の位置づけの転換を示すのか疑問の声も聞かれたが,結局,時間内では明確な結論が得られなかった(1)。 2.学力・学力構造をめぐって 「学力」あるいは「学力構造」をめぐって議論になったのは,(a)「日本型高学力」という従来の見方は誤りなのか,(b)「関心・意欲・態度」の調査方法は適切か,(c)国研の学力観(学力構造のとらえ方)には問題があるのか,ということである。 まず,(a)について。 須藤(1993)は,日本の子どもの学力の特徴として,〈平均値は最高水準で分散が小さい,知識中心・記憶中心で剥落しやすい,学ぶ喜びを伴わない〉を上げ,これを「日本型高学力」と名づけている。 この見方は,日本の子どもの学力の特徴として一般に流布しているものの代表といえる。 木村報告は,こうした見方が,長崎・瀬沼(2000)で示されたIEA の調査結果??中学生では標準偏差が大きい,思考力が弱いのは全般に言えることであり日本独自の特徴ではない??と一致しないことを指摘した。 これについて,久冨善之会員から,須藤のいう「分散が小さい」とは,標準偏差ではなく,「変動係数」(標準偏差÷平均得点)でみたものであり,この指標を用いることには一定の妥当性があるというコメントがあった(2)。 (b)について。 斎藤報告では,「関心・意欲・態度」の質問紙法による国際比較について疑義が示されたが,これに対して,同じく久冨会員から,culture-dependencyの問題は国際比較調査にはつきまとうが,例にあげられたような個別の問題よりも,複数の質問結果から導き出される全体の結果に目を向ける方が重要ではないか,という意見が出された。 (b)の問題が,IEA調査そのものに向けられたものであるのに対し, (c)の問題は,IEA調査と国研の分析との齟齬を問うものである。 長崎・瀬沼(2000)は,「算数・数学の学力を構造づける問題枠組み」が〈次元を明示せず→2次元→3次元〉と変化したとし,第3回は,「認知的なものと情意的なものを併せて学力と捉えているといえる」(p. 52)と述べている。 これに対し,今回の報告では,「関心・意欲・態度」の質問紙調査は以前から行われていること,算数・数学問題の分類は第3回でも2次元[内容×行動的期待]で行われていることなどを理由に,IEA調査自体にはそうした学力観の転換はなく,転換したという見方はむしろ政策的意図を背景にした国研の解釈によるのではないか,という見方が提示された。 この点については,議論する時間が十分取れなかったが,今回の報告の中軸にあたる部分なので,「補足」で筆者の個人的見解を述べさせていただいた(3)。 この他,報告全体にかかわるコメントとして,「《IEAのデータそのもの?国研によるデータの解釈?わが国の教育政策》のどれを批判的に検討しようとしているのか」(久冨会員),「TIMSSの結果と国内報告書の『ズレ』なのか,その国の実状にあわせた読みとり方なのか(むしろ後者なのではないか)」(田中耕治会員)といった疑問・意見が出された。 今回の報告では,国内報告書や国研の著作のみを検討の素材とするという「限定」がつけられていた。 しかし,国研の解釈を批判的に検討し,そこに政策的意図を読みとろうとするのであれば,やはり,国内報告書とIEA自身の報告書との照合は不可欠の作業であったのではないだろうか。 補 足 (1) 今回まとめを書くに際して,筆者は,国内報告書(国立教育研究所, 1998)の典拠となっているIEAの国際報告書(Beaton et al., 1997)にあたってみた(この報告書は絶版となっているが,インターネット上で読むことができる。URLは, http://timss.bc.edu/TIMSS1/MathA.html国際報告書でのこの表の題目は,"Test-Curriculum Matching Analysis Results"となっている。 データは,参加各国の調査責任者(National Research Coordinator: NRC。わが国のNRCは,1989-98が長崎,98-が瀬沼である)に「TIMSSのテスト項目が自国のカリキュラムに対し適切かどうかを尋ねる」ことによって収集され(50%以上の子どもが受ける「意図したカリキュラム」にテスト項目があれば,「適切」と判断することになっている),項目選択においてNRCにはかなりの柔軟性がもたされていた。 つまり,「カリキュラムの中にテスト項目があるか」どうかの判断には,NRCの主観がかなり含まれていることになる。 以上からすれば,この表は,正答率とカリキュラムの履修率との関係を表したものとはいえないだろう。 この分析の目的はあくまでもテスト項目の適切性をみることにある。そして,分析結果からテスト項目は選択の仕方は国際比較を行う上で大した影響を及ぼさないと結論されている。 国内報告書(国立教育研究所, 1998)では,「履修」という言葉が使われたために無用の混乱を招くことになったが,結論として書かれていることは国際報告書と一致している。 ここからすると,今回,報告者によってなされた解釈とそれにもとづく批判は当を得ていないということになるのではなかろうか。 実際,長崎・瀬沼(2000)は「学力の変化の最も大きな要因は,教育課程の変化であると思われる」(p. 66)と述べており,今回の報告者の解釈とは相容れない。 (2) 筆者が変動係数で第3回の中1の得点のバラツキをみたところ,日本は24カ国中13番目で,大きくはないことがわかった(小学生の場合は,もともと標準偏差も小さいので,相対的な順位はさらに下がる。各学年の変動係数の順位は,小3と小4がともに24カ国中21位,中1と中2がともに13位である)。 須藤(1993)が「分散」という統計用語を使ったのはミスリーディングだが,確かに,日本の子どもの学力のバラツキは,変動係数を指標にとってみると,総体的に小さい部類に入る。 ただし,学年が上がるにつれてバラツキが大きくなっている点は注意を要する。 (3) IEA調査と国研の分析との間に実際に齟齬があったのかどうかをみるために,筆者は,実際にIEAの文書にあたって両者を照合してみた(ここで参照したのは,主として,TIMSSのホームページ(http://timss.bc.edu/) の"About TIMSS and TIMSS-Repeat"である。 長崎・瀬沼(2000)のいう「3次元」は,IEAの文書では,"Three Dimensions of the TIMSS Curriculum Frameworks" と表現されている。 周知のように英語には「学力」にあたる言葉はない。一般には,"achievement"が近いとされているが,IEAでは, "achievement"はもっぱら算数・数学問題の結果を表すのに使われており,「関心・意欲・態度」は含んでいない(「関心・意欲・態度」の方は, "attitudes towards mathematics"などと表現されている)。 とすれば,第3回で「認知的なものと情意的なものを併せて学力と捉えている」というのは国研の勝手な解釈ということになるのだろうか。 ここで,IEA調査でいう「カリキュラム」には,「意図したカリキュラム」「実施したカリキュラム」「達成したカリキュラム」の三つが含まれることを思い起こそう(この「三つのカリキュラム」については今回の報告でも言及されていた)。 生徒質問紙(算数・数学問題と態度質問)の結果は,このうち「達成したカリキュラム」に対応する。「達成したカリキュラム」もカリキュラムの一つである以上,"Curriculum Frameworks"の3次元をもつはずである。 したがって,仮に,「学力」を生徒質問紙の結果によって示されるものと定義するならば,第3回において「学力」を構造づける枠組みは確かに3次元になったのであり,長崎・瀬沼(2000)の説明は勝手な解釈とはいえないことになる。 つまり,この点についても,今回の報告の批判はあてはまらないように思われるのである。 問題があるとすれば,それは,国内報告書や長崎・瀬沼(2000)が,「学力」という概念がIEA調査結果の何に対応するのかを明示していないことにある。 批判点はそこに限定すべきだというのが筆者の見解である。 文 献
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文責:松 下 佳 代 (群馬大学) |