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課題研究1:
学力の国際比較をみなおす

課題研究2:
新興教育運動の社会史―中間報告―

公開シンポジウム:
「自ら学び,考える力」をどうとらえ,
いかに評価するか





 
報告者:
中 内 敏 夫
                           木 村   元
(一橋大学)

司会者:)
司会:
山 根 俊 喜
(鳥取大学)








































中内会員はまず,新興教育運動を,「1930年頃から表面化し,3年くらいで消滅した,日本の教師による教育改造運動」であると簡潔におさえた上で,この運動は短命ではあったけれども,日本の教育の暗部を摘出し,重要な問題提起を行っていることを強調しました。
そして,この運動を,これまでの教育史研究での扱い方――教育労働運動や政治運動(とその弾圧)として――ではなく,「社会史」という手法で研究するという点に,本課題研究のスタンスをおくと表明しました。

以下,「教師(学校教師や親)自身による人づくりの技[Folk Pedagogy]の教師たち自身による点検と総括の仕事を研究者が助成する」という「教育調査論」,公文書,抵抗側史料などを,国家官僚集団や反国家官僚集団の意図を伝える文書としてだけでなく,匿名層のその時点でのFolk Pedagogyを伝える史料としても読み取る必要があるという「教育史料調査論」,日常の記録や「心性」の重視といった「社会史」の特徴,など方法論の問題を中心に中内会員は展開しました。

最後に,「新興教育」にひきつけて,1910〜20年代の「自由教育」学校では対応できない子どもたちの窮状(不景気,戦争による欠食児童,身売り,子捨て)と,(当時としては)エリート層である教師とのギャップを埋めていく良心的な教師たちの手探りの試みは,日本の教育のミッシング・リンクであると中内会員は指摘しました。

とくに,当初の,プロフィンテルン(赤色労働組合主義,国際的運動)に従属した運動としての「新興教育」が挫折して,運動参加者から「生活主義教育」――これこそ,学力の情意性,態度,教育と生活の結合などを重視した理論だと中内会員は強調しました――が提起されたわけですが,その実像はまだほとんどわかっていないとのことです。

また,それとは別の動きが青森,神奈川にあったと思われるので,それがどうやって生まれてきたのかも解明する必要があると中内会員は指摘しました。

次に木村会員は,具体的な検討対象として「津軽」をとりあげ,新興教育同盟準備会青森支部が「昭和8年度闘争方針書」の一部として示した「××支部書記局・小学校に於ける各科の教授方針」について,どういう発想のもとでつくられたものなのか調べるべく行っている研究の概要を報告しました。

木村会員はまず,「文部省教材を逆用したり変質したりさせるだけでなく系統的な学習指導要領のかたち」で集約した(伊藤忠彦,『教育運動史研究』2巻),「各教科の教材を社会および自然に関する科学によって系統づけるという新方針をうちだす」,(体操科,裁縫科について)「発達と教育という教育学上の核心的問題についても注目すべき見地をうちだしてきた」(中内敏夫,『生活綴方成立史研究』)といった先行研究での評価や,「教授方針」の内容についての官憲側史料(文部省思想局『思想調査資料集成』14巻)と抵抗側史料(『新興教育』1933年6号)とのズレ(算術科や理科については,前者の方が科学的系統性に関する叙述がより多く展開されているなど)を紹介しました。

そして,「教授方針」の成立過程におけるミッシング・リンクとして,弘前高校社会科学研究会を仮説的にとりあげ,関係者についての調査の現状を報告しました。

報告後の討論では,この時点での「科学によって系統づける」ということの中身,「生活主義教育」といった場合の生活綴方系と新興教育系との相違,官憲側史料と抵抗側史料とのズレをどうみるか(前者の側への教師たちの声の反映,後者の側の政治的意図など),といったことが論点となりました。

文責:山 崎 雄 介
(京都光華女子大学短期大学部、学会事務局)