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課題研究1:
現代の高校教育において
リアリティのある目標づくりとは


課題研究2:
学力論争をどうとらえるか

公開シンポジウム:
評価基準をどう設定すればよいのか




 







まず司会の田中耕治会員(京都大学)から,新指導要録による評価への移行が行われ,教科の評定において「相対評価」が廃止されるなど,評価の新しい展開の条件――あくまで「条件」ではあるが――が現出しつつある中で,目標準拠型への転換やそこでの評価規準をどうするかが研究上・実践上の課題になっている,とした上で,4人の報告者それぞれへの期待が表明された。

報告1:
中学校の評価規準設定における現状と課題
                          北 原 琢 也
(京都市教育委員会)

 北原氏は,「学習評価の工夫改善に関する実態調査の報告」(国立教育政策研究所教育課程研究センター,2002年7月実施,全国の小学校 750校,中学校500校を対象としたアンケート調査)をもとに,「目標に準拠した評価」の現場での普及状況をふまえた上で,以下のように課題を指摘し た。
 
@評価規準を用いた評価を未実施の学校が,小学校で16%,中学校で7%ある。
A評価規準を用いている学校については,自校での開発が小学校では56%,中学校で78%で,開発にあたっては,国研の参考資料,教科書会社等のものがよく参照されている。一方で,規準作成の自己目的化,「評価のための評価」が危惧される。
B評価規準について,教師が1人で作成というケースが小学校で21%,中学校で43%あるというのは,規準の客観性・妥当性・信頼性という点か らみて課題を残す。近隣校との連携,地域レベルの組織体制等の検討が必要である。同様に,観点別評価の評定への総括についても,教師個人任せという学校が 若干ある。同じく学校間・地域間での連携が必要であろう。
C観点間の「重みづけ」について。まったく行っていない学校が多いこととともに,行っている学校でも,教科内容の重要性などにもとづいての重み づけなのか,適切な評価場面,評価計画が作成された上での吟味がされた上で,重みづけがされているか,といった点はアンケートのみではわからず,検討を要 するところである。重みづけを行うにしても,単なる量的処理(ある観点を2倍したり,各観点に係数をかけて平均するなど)では,観点別学習状況と評定とが 矛盾したり,教師の恣意的判断が混入するおそれもある。また,学習の実現状況からかけ離れた総括になったり,評定の意味が学校や学年ごとにバラバラになる 可能性もある。保護者への説明責任との関係でも,理論的整理を要する。
D「努力を要する」(C)と判断された生徒への指導の手だてについて,「明確になっている」と回答した学校が小学校・中学校ともに少ない(それ ぞれ18%,10%)。現場が評価規準づくりの実務に追われ,実践と評価との連携について一致できていないのが現状であろうと推察される。
 
 以上をうけて北原氏は,「できあいの評価規準を右から左に用いたのでは,評価活動には生かせないことへの気づきが必要」「『教える』から『育てる』へのパラダイム転換を実行し,そこでの実践を評価するのは自分自身だとの認識をもつべき」と提起した。




報告2:
学び手が使えるルーブリックを
                              安 藤 輝 次
(福井大学)

安藤氏は,ルーブリック=評価基準づくりの具体的な方法について,参加者とやりとりしながら自説を展開した。
まず氏は,「初めてのことを学ぶ ときに,(A)自分でやってみる,(B)関係する本を読む,(C)同じような人の様子を見る,いずれのやり方をとりますか?」と参加者に発問し,学習スタ イルはほんらい人によって(あるいは同じ人でも場合によって)多様であるのに,授業は文字・記号のみの座学的な授業に偏る傾向があることを指摘し,こうし た傾向の改善と連動して評価の問題を考える必要性を強調した(ちなみに上記の発問に,会場では(B)という答が多かったのはご愛嬌)。
次に安藤氏は現在の「学力問題」に論を進め,学校が定期テスト特化型に陥る中,低学力層の自信喪失,高学力層の実感喪失が進行していること,いっぽうで,むしろ受験産業が学問の本質を志向しつつあることなどを指摘した。
そのことと関連した評価実践の問題点としては,評価のための評価,本物の学びと評価の不在,客観=非人間的で主観=人間的という短絡的な捉え 方の横行などが挙げられた。
大きな影響力を発揮した国研による評価規準の参考事例でも,パフォーマンス動詞(後出)が使われていない,評価過程に子どもを 関与させていない,などの問題があると安藤氏は述べた。
こうした問題状況を解決していくために安藤氏は,第1に,「一般的・分析的な評価基準表の開発」をまず挙げた。
現行の国研「規準」式の,単元 ごとの内容に即して評価基準を設定する方式では,「子どもどころか教師でさえ使いこなせない」「評価のための評価」になるので,学習活動をイメージできる ような一般的・分析的な評価基準表を開発すべきだというのである。
そこで鍵になるのが,「パフォーマンス動詞」である。たとえば下の2列の動詞群のうち, 右側が「パフォーマンス動詞」にあたる。
・理解する ・整理する
・気付く ・再現する
・追求する ・試す
・説明する ・学び合う
・指摘する ・改善する
・述べる ・味わう
・協力する
・評価し合う
左の列の動詞がやや抽象的で,「頭の中」の活動を想起させるのに対し,右側は,具体的な事物・活動や他者との関係など,より具体的な学びの姿に近い。こうした動詞を用いた評価基準をつくるべきだというわけである。

第2に,評価過程への子どもの参加をめぐって,「優れた学習物と劣った学習物を提示して,そこから子どもたちに評価基準を導かせる」「子ども 自身が評価基準を達成したと思う学習物について,本当に達成できているか教師と話しあう」などの方法が提起された。
この点にかかわって,ポートフォリオ評 価についても,単に学習物を貯めるだけでは不十分なのであって,子どもに時々の思い,意図などを訊くことが重要であると安藤氏は強調した。
ただし,自己評価だけではついつい甘くなりがちということもあり,自己評価をふまえての教師側の評価の手法として,見取り評価(下図)を教師用ポートフォリオに加えるのがよいのではとも提案された。
最後に安藤氏は,具体的な評価基準表づくりの手法として,(たとえば3段階の評価なら)「3つ以上の要素を含む評価基準を考え,さらに要素間 の重要度の順位づけをした上で,すべての要素を含むものを3,一番目と二番目に重要な要素を含むものを2,一番目の要素のみを含むものを1とする」といっ たやり方を,具体例を挙げて説明した。




報告3:目標=評価基準開発のあり方を考える
      ――ポートフォリオ評価法の可能性――
                           西 岡 加名恵
(鳴門教育大学)

西岡会員はまず,相対評価から目標準拠型評価への移行期における問題点として,以下の3点を挙げた。
 
@「高次の学力」(思考力・判断力・応用力)やスキル面(表現・技能)に関する評価方法・評価基準が明瞭になっていない。

A目標が細密化し,教師が「チェックマン」化してしまう。形成的評価と総括的評価の関係が明らかになっていないため,合計点で評定がつけられてしまっている。

B個人内評価と到達度評価の「内在的結合」のあり方が具体化されていない。

まず西岡会員は,Stiggins,,Wigginsら英米の研究者による評価法の整理をいくつか紹介し,その共通点として,高次の学力・スキルは客観テストでは無理だとしていること,いっぽうでパフォーマンス課題は時間がかかるので課題数を絞る必要があること,多様な評価法を組み合わせるべきだとしていること,などを挙げた。

そして,「高次の学力・スキル」を評価するための方法としてルーブリックを挙げ,西岡会員自身も加わった,鳴門教育大学附属小学校などでの ルーブリック開発事例を詳細に紹介した。
ルーブリック開発の手順として,報告では以下のものが紹介された(手順1はWiggins, G., Educative Assessment, Jossey-Bass,1998より,手順2はArter, J. & McTighe, J., Scoring Rubrics in the Classroom, Corwin Press, 2000より)。
 
手順1 
@試行(pilot)として課題を実行し,多数の子どもの作品を集める。
A予め,数個の観点を用いて作品を採点することを同意しておく。
Bそれぞれの観点について,1つの作品を少なくとも3人が読み,0〜5点で採点する。
C次の採点者にわからぬよう,採点を作品の裏に付箋紙で貼りつける。
D全部を検討し終わった後で,全員が同じ点数をつけた作品を選び出し,それぞれの点数にみられる特徴を記述する。 
手順2
@できるだけたくさんの作品例を集める。
A「優れている」,「普通」,「努力を要する」の3グループに分類し,理由を書く。
B理由を観点別に分ける。
Cそれぞれの観点について,各点数の特徴を書く。
 
そして,西岡氏らが手順1に依拠しながら開発した小学校4年生理科「木の観察記録」に関するルーブリック(下図)と評点2〜4に属する作品の例が紹介され
 
 
 
 
 
 
こうした活動にとりくんだ効用として西岡氏は,教師間で評価が分かれる(教師ごとに異なる評点をつける)作品について,米国の文献では無視す ることになっているのに対し,むしろこうした作品をめぐる話しあいの中で,見落としていた評価の観点・基準に気づかされたのが印象的だったと述べた。
その 他,こうした集団的な基準づくりには,目標=評価基準の明確化,評価基準の客観性の向上,子どものつまずきの明示化とその指導への活用,といった効果があ るという。

その後西岡会員は,年間評価計画や評定――これについては,学習過程の合計・平均でなく,最終的な到達点によるべきだと強調された――につい て,国内外の事例を紹介しながら論及した上で,「各学校におけるシラバス(指導計画と評価計画)の策定」「地域レベルでのスタンダードの開発(ただし学校 間競争ではなく,全体的なスタンダードの向上が重要)」「学期・学年をこえて引き継ぐ『長期的/発達的ルーブリック』の開発」などを今後の課題として挙げ た。




報告4:
評価基準の設定をめぐる問題と課題
      ――日本の現状と歴史から――
                               木 村   元
(一橋大学)

木村会員はまず,教育という目的的・意図的営みにおいて「評価」が不可欠の要素であることはいうまでもないけれども,現在の日本では,新自由 主義的政策の中での改革手法というバイアスのかかった形で,社会のあらゆる面で「評価」が論点になっていること,教育評価についても,そうした影響はある (典型的には,国立大学「独立行政法人」化における中期目標と評価など)ことをまず押さえるべきだと強調した。
もともと日本では,「教育活動の内在的な要 素としての評価」への着目が必ずしも十分になされてこなかった経緯があり,その意味でも上記のような社会状況の影響は軽視できないという。

次に木村会員は,相対評価から「絶対評価」への移行をめぐって,戦後初期には歓迎されていた相対評価の問題性が1960〜70年代にクローズアップされ,以後「相対」色を薄める方向での手直しがなされつつ,2001年改訂にいたって原則的に相対評価が消滅するまでを簡潔に跡づけた。
そして,評価規準(criterion)をめぐる国際的動向と日本の状況を対比すると,大きくは,前者でのスタンダード化,後者での個性化・ 多様化という特徴づけができると指摘した。
さらに,学力の中味に目をむけると,共通点としてperformance-basedな評価への着目という動向 がとりだせるいっぽうで,特殊日本的なあらわれとしての「態度主義」について,performanceのレベルをどうとらえるかという課題がのこされてい るとした。

さらに木村会員は,「制度化された評価基準の実際と展開」に論及した。とくに義務制と高校との進級原理の相違。
まず,国研教育課程研究セン ターの「評価規準の作成,評価方法の研究開発のための参考資料−評価規準,評価方法等の研究開発(報告)−」(2002年2月)の中学校・社会科の規準例 をとりあげ,「評価規準の文言が,学習指導要領の目標を単純に4つの観点にふりわけていること」「観点別評価にあたっては,個々の評価手法(ノート作業, ペーパーテスト,調べ活動,教師による観察など)の重みづけをした上でA〜Cをつけ,さらにそれを平均して観点ごとに総括し,さらにそれらを―観点間の重 みづけをした上で―総括して評定するという手法がとられていること」を特徴としてあげた。
これについて木村会員は,「学習を励まし,促すところに評価の意 義を見出すとするならば,『関心・意欲・態度』を独立して評定することに問題はないか」「『平均』という総括の仕方にも,原理的問題が含まれている」などの問題点を指摘した。
 
さらにこうした評価方式と対比的に,英国のナショナル・カリキュラム歴史の目標・評価基準がとりあげられた。
英国では,当初は細分化された基準によっていたが実践的に無理があり,現行の尺度になったという経緯がある。

最後に木村会員は,「制度化された教育評価の枠組」と学校間接続(平たくいえば入試)の関連について言及した。
とくに高校入試の調査書(内申書)をめぐっては,これまでは保護者もある種の「納得」はしていたが,これからは「なぜAなのか,Bなのか」が徹底的に問われるようになることが予測され る。
保護者の「要求」の前に,評価のインフレ,「説明責任」の名のもとでの評価規準・関連資料の煩雑化=評価のための評価なども危惧される。
こうした状況 のもとで,「選抜接続」ではなく,「教育的接続」を真剣に考えないと,評価の改善もリアリティのない議論になってしまうと木村会員は報告を締めくくった。
 

報告をうけての質疑および討論では多岐にわたる話題が出された。もとよりそのすべてを網羅することはできないが,主なものは以下の通りである。

第1に,教育現場のさしせまった実践上の要請を反映して,安藤,西岡両氏の提起する評価基準(ルーブリック)づくりについて,現場の負担増(教師・子どもともに),基準の妥当性(教師間での評価のばらつきなどが生じたらどうするのか)等にかかわる質問が続出した。
負担増の問題については西岡氏から,目標(何を,どこまで評価するのか)を絞りこむこと,またその際,「失敗は許されない」などと必要以上に 構えないことによって回避できるとの回答があった。また基準の妥当性については,両氏は異口同音に,集団的にルーブリックづくりにとりくむなかで共通理解 が生まれてくるので,深刻なくいちがいには至らないのでは,との趣旨のことを述べた。

第2に,「関心・意欲・態度」を評価することの是非について論点になった。
この点について,一定の留保はしつつも「評価すべき」との発現が安藤,西岡両氏からあった。
具体的には,指摘されているような危険性(態度主 義,管理への転化,授業・教師の問題の子どもへの責任転嫁等々)は理解しつつも,「学習意欲喪失など子どもの現状との関係では,子どもにメッセージを発す るという意味で,ダイレクトではなくても評価をした方がよい」(安藤氏),「観点として立てることがひょっとして必要かなと思う面もある。英国の理科での 『失敗を恐れず仮説を立てる』のように,教科内容に即して目標化できればよいのでは」(西岡氏)とのことであった。
一方,木村氏は,指導過程で一度「C」がついてしまうと,その評価基準を後にクリアしても「C」はそのままであるという「観点別学習状況」全 体につきまとう構造的な問題があること,そのなかで「関心・意欲・態度」については,どういうプロセスで身につけるかということ(関心・意欲・態度を育て る指導過程)と,個々の子どもに身についたものとを区別して考えることが必要だ,との指摘があった(筆者なりに敷衍すれば,指導過程が関心・意欲云々を育 てるような方向のものになるべきだということから,それらの属性を子どもの成績の独立した項目として評価すべきだということは必然的には帰結しないという ことか)。また,他の3氏の報告では当然の前提とされていた「旧学力とパフォーマンス学力との違い」について,ていねいな検証が必要だとの発言もあった。
第3に,今回の評価改革をめぐって,国研や地方教育委員会からさまざまな参考資料が出される中で,それらがしばしば絶対視されるという問題に ついては,北原氏が「現場の力で改善していくべきで,それがないと絵空事に終わる。国研であれ地方教委であれ,参考事例に過ぎない。ボトムアップによって 改善していくことが基本」と強調したのをはじめ,現場での規準/基準づくりの必要性では一致した。ただ,現実にどこまで現場の裁量権があるか,地域での協 力等の問題について具体的に深めるまでには至らなかった。

以上をうけて司会の田中会員が,以下の3つの課題を提起してシンポジウムの幕は閉じられた。
@相対評価が基本的には廃止されて「目標準拠」になったもとで,目標を共有する合意形成のシステムをどうつくるかが,あらためて問われている。「上から」と「内から/下から」との相互作用をどうつくっていくのか,そこでの地方教委の役割は大きい。
A学力の評価について,ある程度蓄積はあるが,カリキュラム評価への展開という点について現在問われている。
B学力の質をどうとらえ,どう目標化するか。今回のシンポジウムではその新しい研究動向がかなり展開された。











































































































































































文責:山 崎 雄 介
(京都光華女子大学短期大学部、学会事務局)